「バナナブレッドのプディング」大島弓子
【あらすじ】
主人公の三浦衣良は、高校生になっても幼稚な少女で、変わった言動ばかりする。大好きな姉が結婚して家を出ようとしているのを知って、衣良は家出し、久々に再会した幼馴染(さえこ・峠)の家に住まうことになる。
衣良は「うしろめたさを感じている男色家の男性のカーテンになりたい」と言って突然ホモを探し出すなど、迷走する。
白泉社漫画文庫から出ています。
この作品から、愛の複雑性について考えてみようとおもう。
【「理解されない子ども」について】 大島弓子の全作品で共通するのは、「理解されない子ども」の存在である。どの作品の主人公もみんな変わった(子ども独特の)世界観を持ち、理解されないから意地をはったり極端な行動をしたりしている。ほぼ例外はない。「バナナブレッドのプティング」の主人公三浦衣良は、この特徴が最も顕著に現われた主人公である。第一話のはじめに、昔の友人のさえ子と再会したときも、「空き地の草をみつあみにする遊びを今でもやっている」と言ってさえ子を驚かせていた。衣良は典型的な子どもから抜け出ることができていない少女である。
よく大島弓子の書評では、「永遠の少女性」なんて表現が使われているが、大島弓子の作品に共通するのはまさにそれなのである。「いちご物語」のいちごなんかは、子どもから大人になることができず死んでしまったし、「綿の国星」のちびねこだって、大人にしてしまったら意味がないとして中断されてしまった。そして何故そのようなテーマが彼女の作品にまとわりついて離れないのかというと、大島弓子自身がいつまでたっても「大人になりきれない子ども」だからである。いまだに、猫と一緒に感受性溢れる空想や想像をして暮らしている。猫と一日25時間サイクルで生活し、社会に対応していない。子どもの頃から、その感受性を発揮した発言を繰り返し、親からも気違い扱いされたりしたらしい。そんな彼女を理解してくれたのは大叔母のみだと言っていた。衣良もまた、親から精神鑑定を受けさせようなんて言われている。
【衣良が世界の愛を実感していないことについて】 衣良が色んなものを怖いと言っているのは、世界から愛されている(受け入れられている)自信がないからだ。親からも否定され、大好きな姉も結婚してしまう。衣良のとっぴな言動の全ては、世界に受け入れられているという実感を充足させるためのアクションなのである。「うしろめたさを感じている男色家の男性のカーテンになりたい」なんていうのも、人から必要とされたい切実な想いがよく出ている。「人から必要とされている立場」が無ければ生きているアイデンティティーを衣良は感じられないのだ。といっても普通に、愛情が充足していて、世界に受け入れられている実感のある人なんてそうはいないのだが、親から不信がられた子どもは、世界に存在するためにそのデートルを「愛情」から「立場」に置き換え作業することがしばしばである。つまり、仕事を大量に引き受けたり、不当な扱いも許してしまったり。そうまでして人から必要とされることに固執するのである。衣良はまさしくその典型である。
そのなかで、衣良は峠を好きになってしまう。人から必要とされることを必要としていた衣良だが、峠を好きになることで、「人から」ではなく、「峠から」必要とされることを必要とする衣良になったのだ。しかしそこで衣良は峠が「男色家である」という嘘の芝居をしていたことを知る。世界から再度見放された衣良は「沙良の赤ちゃんになりたい」と言う。沙良が大好きな衣良は、沙良の子どもであれば愛情をたくさん注いでもらえると思ったからだ。
【衣良が教授に対して殺意を持ったことについて】 峠から必要とされていないと思った衣良は、「峠を必要としている」自分を無視して、初志(「うしろめたさを感じている男色家の男性のカーテンになること」)を再度実行に移すため教授のもとへ身をよせた。峠に関して衣良は無自覚であったのでその行動の辻褄は合っているが、自分に対しての欺瞞だった。「自分の必要なもののために自分で行動すること」は、人が自立するための必要条件だが、行動に移すのは意外に難しいし、リスクがともなう場合、人はあまり積極的にならない。それを衝動で行動させてしまうのが恋である。また、恋ないし自分が必要としていることのための行動は、うまくいかない場合がある。その理不尽とも思える現実を受け入れることも自立条件である。子どもが大人へと変化するプロセスで、殺意をともなうのはそのためである。子どもがどうしても欲しいおもちゃが手に入らなくて親を憎んだりする。殺意というのは大げさかもしれないが、反抗期とは世のままならなさに怒ることである。神話であっても、世界を形成するプロセスでは必ず親殺しや兄弟殺しの逸話が例外なく出てくる。衣良が教授に殺意を持ったのは、自分の欺瞞や欲求不満の象徴が教授だったからである。
最後にハッピーエンドを向かえたのは、世界に享受されている実感がなく今まで奔走していた衣良が、求める相手(峠)から求められた(肯定された)ことで、根深いコンプレックスから開放されたからである。また、この作品では多くのキャラクターがそれぞれの愛情を持て余して複雑している。作中で「だれかもつれた糸をヒュッと引き 奇妙でかみあわない人物たちを すべらかで自然な位置に たたせてはくれぬものだろうか」という場面があるが、ここがなんと的確で美しいシーンだろうと思う。最後さえ子と哲学生との会話で「じゅずつなぎ思考」というのが出てきたが、ここで大島弓子は愛の複雑性をじゅずつなぎしたのだなと思った。
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